12月16日、火防(ひよけ)・火伏せの神を祭る秋葉神社の祭礼が行われました。
滝呂陶磁器工業協同組合の柴田宗一郎理事長、滝呂区長、滝呂区財産管理会会長、商業組合長、氏子総代、市会議員の順に玉串の奉典が行われました。
毎年この季節には恒例の風景となる 火防(ひよけ)・火伏せの神を祭る秋葉神社の祭礼。この秋葉神社祭礼は、多治見市会議員、滝呂区長、財産管理会長、商業組合理事長、合同労働組合の方を招待し、氏子とともに火を使う工業組合が主体となって執り行われます。
4月19日(日)滝呂陶祖祭が盛大に執り行われました。
開式の辞(柴田副理事長)から始まり、神霊降臨を仰ぎ、その偉業を称え、滝呂陶業の繁栄と滝呂町の発展を祈念し、感謝の意を捧げる祭文奉読(松原理事長)、玉串奉奠、昇神、閉式の辞で神事終了。お楽しみの持ち投げも行われます。
その後会場を移し、祝賀会が行われました。
笠原鉄道(東濃鉄道笠原線)滝呂駅跡
滝呂陶磁器工業協同組合近くの滝呂中央公園は笠原鉄道(東濃鉄道笠原線)滝呂駅跡です。
笠原鉄道(東濃鉄道笠原線)は、国鉄(現在のJR)中央線多治見駅と笠原町を4.6kmの距離を結ぶ鉄道で、1928年(昭和3年)7月1日に開業しました。
中央線多治見駅の南側に位置した新多治見駅から、本多治見駅、市之倉口駅、下滝呂駅、滝呂駅を経て終点の笠原駅まで、6つの駅がありました。
↑昭和40年代後半頃 伊藤守さん撮影(滝呂駅のホームから多治見方面を見る)
↑2009年2月 現在の様子
当初、笠原鉄道株式会社として設立されましたが、1944年(昭和19年)3月1日駄知鉄道株式会社と合併して東濃鉄道株式会社が誕生、東濃鉄道笠原線となりました。
笠原鉄道(東濃鉄道笠原線)は、地域住民の貴重な足として、また沿線で生産される陶磁器等の輸送手段として活躍しました。旅客輸送の最盛期は1945年(昭和20年)で1日の乗降客は4100人を数え、貨物輸送は1970年(昭和45年)が一番多く1ヶ月に12000トンの量を取り扱っていました。
↑滝呂橋をわたる蒸気機関車 1931年 多治見市郷土資料室所蔵)
↑2009年2月 現在の様子
しかし、次第に路線バスが台頭し、さらに輸送の主役が自家用車やトラックへと移り変わりました。1978年(昭和53年)10月31日午後3時、新多治見駅から笠原駅に向けて最後の列車が運転され翌日付けで開業以来50年の歴史にまくが降りました。
廃止後の線路跡は自転車・歩行者専用道路「陶彩の径」として整備が進められ、現在本多治見駅跡付近から滝呂駅跡付近の間約3kmが市民の憩いの散歩道として、人々に理容されています。今後滝呂町から笠原町まで同道路を延長する整備事業が計画されています。「笠原鉄道なつかしの写真と史料展 資料集(多治見市笠原中央公民館)より」
平成20年12月16日(火)、火防(ひよけ)・火伏せの神として知られる 秋葉神社の祭礼が執り行われました。「火」を取り扱う「窯元」としては、欠かせない行事となっています。
多治見市会議員2名、滝呂区会長、財産管理会長、商業組合理事長、合同労働組合、氏子、滝呂陶磁器工業協同組合、計26名が参列しました。