平成21年4月11日(土)9:00~15:30 滝呂中央公園周辺(滝呂区民公民館。平成クラブ・サンホーム滝呂・陶彩の径)にて、JRさわやかウォーキングさくらと陶磁器の街「陶彩の径さくらまつり2009」が開催されます。
昨年同様にさくらの開花が調度良いころになるのではないかと期待しています。「陶彩の径」沿線の大畑・京町・滝呂町内のさくらを眺めながら滝呂町内に入って頂き、メイン会場の滝呂中央公園周辺(滝呂区民公民館。平成クラブ・サンホーム滝呂・陶彩の径)にて楽しい企画を用意しています。
滝呂陶磁器工業協同組合であは、オリジナルロゴ入りマグカップの無料配布と、廉売市出店を予定しています。是非お越しください。
笠原鉄道(東濃鉄道笠原線)滝呂駅跡
滝呂陶磁器工業協同組合近くの滝呂中央公園は笠原鉄道(東濃鉄道笠原線)滝呂駅跡です。
笠原鉄道(東濃鉄道笠原線)は、国鉄(現在のJR)中央線多治見駅と笠原町を4.6kmの距離を結ぶ鉄道で、1928年(昭和3年)7月1日に開業しました。
中央線多治見駅の南側に位置した新多治見駅から、本多治見駅、市之倉口駅、下滝呂駅、滝呂駅を経て終点の笠原駅まで、6つの駅がありました。
↑昭和40年代後半頃 伊藤守さん撮影(滝呂駅のホームから多治見方面を見る)
↑2009年2月 現在の様子
当初、笠原鉄道株式会社として設立されましたが、1944年(昭和19年)3月1日駄知鉄道株式会社と合併して東濃鉄道株式会社が誕生、東濃鉄道笠原線となりました。
笠原鉄道(東濃鉄道笠原線)は、地域住民の貴重な足として、また沿線で生産される陶磁器等の輸送手段として活躍しました。旅客輸送の最盛期は1945年(昭和20年)で1日の乗降客は4100人を数え、貨物輸送は1970年(昭和45年)が一番多く1ヶ月に12000トンの量を取り扱っていました。
↑滝呂橋をわたる蒸気機関車 1931年 多治見市郷土資料室所蔵)
↑2009年2月 現在の様子
しかし、次第に路線バスが台頭し、さらに輸送の主役が自家用車やトラックへと移り変わりました。1978年(昭和53年)10月31日午後3時、新多治見駅から笠原駅に向けて最後の列車が運転され翌日付けで開業以来50年の歴史にまくが降りました。
廃止後の線路跡は自転車・歩行者専用道路「陶彩の径」として整備が進められ、現在本多治見駅跡付近から滝呂駅跡付近の間約3kmが市民の憩いの散歩道として、人々に理容されています。今後滝呂町から笠原町まで同道路を延長する整備事業が計画されています。「笠原鉄道なつかしの写真と史料展 資料集(多治見市笠原中央公民館)より」
2009年1月7・8日、岐阜県多治見市東町にある、セラミックパークMINOにて、「2009年 多治見地区陶磁器工業組合連絡協議会 新春見本市」が開催されました。
滝呂陶磁器工業協同組合から、下記の6社が出展しました。
株式会社 丸朝製陶所 株式会社 丸健製陶
有限会社 丸半製陶所 有限会社 山万製陶所
有限会社 カネ時製陶所 渡辺製陶所
↑テープカットの様子です。
↑会場の様子です。
平成20年12月16日(火)、火防(ひよけ)・火伏せの神として知られる 秋葉神社の祭礼が執り行われました。「火」を取り扱う「窯元」としては、欠かせない行事となっています。
多治見市会議員2名、滝呂区会長、財産管理会長、商業組合理事長、合同労働組合、氏子、滝呂陶磁器工業協同組合、計26名が参列しました。
文献によれば寛政5年2月滝呂郷の加藤定吉翁が京都聖護院御門主へ水指しを献上して、滝呂焼の御銘を賜ってより大いに面目をほどこし、以来年々上納に努めたといわれています。この加藤定吉翁をはじめ、滝呂地区の窯業発展に寄与した先人を総じて陶祖と仰ぎこの碑を建立されたそうです。
陶祖碑建設にあたって、昭和28年5月の総会において提案され、昭和29年5月の理事会において当時の理事長柴田桂一氏の発議により建設委員会が設置されました。松原太蔵氏等により、陶祖の歴史等の探求が始まる。当組合創立30周年を記念して昭和35年4月建立。